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東京地方裁判所 昭和63年(ワ)13665号 判決

甲事件原告、乙事件被告(以下「原告」という。)

鈴木秀子

右訴訟代理人弁護士

更田義彦

河野敬

甲事件被告、乙事件原告(以下「被告」という。)

山内寿馬

右甲事件訴訟代理人弁護士

川尻治雄

右甲事件訴訟復代理人、乙事件訴訟代理人弁護士

熊谷信太郎

右乙事件訴訟代理人弁護士

増永忍

高野正晴

主文

一  被告は、原告に対し、金三五六五万六九七七円及び内金三五〇〇万円に対する昭和六二年一二月一五日から、内金六五万六九七七円に対する平成二年五月九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  被告の請求を棄却する。

四  訴訟費用は、甲事件及び乙事件を通じてこれを三分し、その二を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

五  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  甲事件

1  請求の趣旨

(一) 被告は、原告に対し、金四七一七万〇一四五円及び内金三五〇〇万円に対する昭和六二年一二月一五日から、内金一二一七万〇一四五円に対する平成二年五月九日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

(三) 仮執行宣言

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 原告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

二  乙事件

1  請求の趣旨

(一) 原告は、被告に対し、金一〇〇万〇六七一円及びこれに対する昭和六二年九月四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

(二) 訴訟費用は原告の負担とする。

2  請求の趣旨に対する答弁

(一) 被告の請求を棄却する。

(二) 訴訟費用は被告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  甲事件

1  請求原因

(一) 当事者

原告は訴外亡エドワード・ルイ・ゴールド(以下「エドワード」という。)の妻であり、被告は肩書住所地において通称「冷研リウマチ村山内病院」(以下「山内病院」という。)を開設し、リウマチその他難病の研究・治療にあたっている医師である。

(二) 受診に至る経緯

(1) エドワードは、昭和五四年ころから気管支喘息で苦しみ、フランスで治療を受けていたところ、被告の行う冷凍療法が喘息治療に効果がある旨伝え聞いて原告とともに来日した。

(2) エドワードは、昭和五九年一二月一五ころ、被告の妻であり山内病院に勤務する山内由美子医師(以下「由美子医師」という。)の診察を受け、自己の既往歴及びフランスにおける治療経過等を説明した。その際、由美子医師から冷凍療法は喘息治療にも効果があるとの説明を受けたため、被告との間で冷凍療法を受ける契約を締結し、山内病院に入院した。

(3) エドワードは、同月一七日及び一八日の二日間、山内病院の医師の指示に従って冷凍療法を受け、原告もこれに付き添った。

(三) 本件事故の発生状況

(1) 同月一九日午前九時ころ、エドワードは山内病院に勤務するY隆充医師(以下「Y医師」という。)の問診を受け、その際Y医師に対し、「昨晩は余り眠れず風邪気味である」旨告知したが、Y医師は特段の措置を講ずることなく、冷凍治療室に隣接する予備室(摂氏零度前後)に入るよう指示した。

(2) エドワードは、原告とともに、水着を着用して予備室に入ったが、まもなく息苦しさを訴え、原告に伴われて退出した。

(3) 着衣後、エドワードは、山内病院に勤務する看護婦から外気にあたるよう勧められ、戸外のベンチで休養した。その際、フランスの主治医から指示されて携帯していたコーチゾンを数滴服用し、気管支拡張剤を吸入した。

この間、エドワードは放置されたままの状態であり、医師及び看護婦らから、外気にあたるようにという以上の助言及び注射等の措置の申出は全くなかった。

(4) エドワードの喘息発作は軽快せず、また、戸外は気温が低かったため、原告はエドワードを車椅子に乗せて病室に連れ戻ろうとした。その途中、原告は医師を呼んでくれるよう看護婦に依頼し、看護婦は点滴の操作をした上でY医師を呼びにいった。その直後、エドワードの状態は急変し、四肢硬直を起こして意識を失ったため、原告は急を告げてY医師及び看護婦らを呼んだ。

(5) Y医師らが駆けつけ、酸素吸入及び心臓マッサージなどの措置がとられたが、Y医師は、気管内挿管を行うにあたり、気道に挿入すべきチューブを誤って食道に挿入した。

その後、原告の依頼に応じて来診した大分医科大学の茂木五郎教授及び織田俊介医師が挿管をやり直し、副腎皮質ホルモン等を静注した。

(6) 一七時ころ、出張中であった被告及び由美子医師が帰院し、さらに心臓マッサージその他の措置がとられたが、エドワードは、二三時〇三分ころ、気管支喘息により死亡した。

(四) 被告の責任

(1) 冷凍療法は、気管支喘息の治療法として医学界において一般に承認されておらず、その有効性を科学的に立証された治療法ではない。むしろ、医学界においては一般に、気温の急激な低下は喘息発作の誘因になるとしてできるだけ避けるべきものとされているのである。

このような、医学界で未だ有効性が確認されていない未確立の治療法を実地に喘息患者に用いるにあたっては、被告としては、その患者が禁忌とされる場合であるか否かにつき厳正に検査・判断した上、患者の生命・身体に危険が及ぶおそれのある緊急の事態の発生を防止するため、喘息治療につき十分な認識と経験を有する医師を配置するなどの人的・物的体制をあらかじめ整備して行うべき注意義務があるのにこれを怠り、経験未熟な医師に一人で冷凍療法を担当させ、実施前にも問診表によるずさんなチェックしか行わないまま冷凍療法を施していた点で過失がある。

(2) 本件では、問診にあたったY医師は、エドワードが風邪気味で睡眠不足であり、軽度の呼吸困難・喘鳴があることを認識していたのであるから、冷凍療法を施すことにより喘息発作を誘発して生命・身体に危険が及ぶおそれがあることを予見し、当日は予備室入室を含む冷凍治療の実施を避止すべき注意義務があったのにこれを怠り、右の程度の症状は冷凍療法を施す妨げにはならないものと軽信し、漫然とエドワードに対して予備室入室を指示した点で過失がある。

(3) 予備室を退室した後、エドワードはなおも喘息発作が収まらずその症状は悪化していたのであるから、Y医師及び看護婦らは、エドワードに対して適切な助言を与え、症状悪化の状況に応じて迅速に治療措置を講じるべき注意義務があったのにこれを怠り、気温の低い戸外に出るように勧めたのみで以後放置し、即座に副腎皮質ホルモン等の注射を施すなど適切な措置をとらなかったこと、また、喘息発作の治療にあたっては何よりも気管支拡張剤を投与すべきであるのにこれを怠ったこと、さらに、気管内挿管の措置をとるに際し気道に挿入すべきところを誤って食道に挿入したことなど、迅速適切な救命措置を講じなかった点で過失がある。

(五) 因果関係

(1) エドワードは、事前に十分なチェックを受けることなく予備室に入室した結果喘息発作を起こし、かつ、発作に対する救急治療体制が整っておらず適切な治療を受けられなかったことにより死亡するに至った。

よって、十分な検査・救命体制を整えないまま冷凍療法を施した被告の過失とエドワードの死亡との間にはそれぞれ因果関係がある。

(2) エドワードは健康状態がすぐれないまま予備室に入室したことにより喘息発作を起こした。喘息発作が起きた後でも即座に適切な措置を講ずれば発作を収めることは十分可能であるところ、Y医師及び看護婦らが適切な助言・治療措置を怠った結果エドワードの喘息発作が悪化し、呼吸困難を起こして窒息死するに至った。

よって、Y医師らの前記過失とエドワードの死亡との間には因果関係がある。

(六) 被用関係

Y医師及び看護婦らは被告に雇用されて山内病院に勤務している者であり、これらの者の前記の過失は同病院の業務の執行について生じたものであるから、被告は、Y医師及び看護婦らの前記過失により原告が被った損害につき、民法七一五条により使用者としての責任を負うべきである。

(七) 損害 合計金四八一七万〇八一六円

(1) 扶養及び婚姻費用負担請求権の侵害による喪失利益

金一二一七万〇八一六円

エドワード及び原告は、本件事故当時、フランス国パリ市に在住し、エドワードは、同市内においてレストラン「ジュン」の経営者として月額金一五〇〇〇フラン、同「サントリーフランス」の支配人として月額金4025.76フラン、併せて月額金1万9025.76フランの収入を得ていた。そして、死亡当時エドワードは六〇歳であるところ、六〇歳男子の平均余命は19.70とされるから、エドワードの就労可能年数は平均余命の二分の一として9.85年である。

原告の扶養及び婚姻費用負担請求権は、右所得から生活費四〇パーセントを控除した残額の二分の一に相当する。

したがって、ライプニッツ方式により中間利息を控除して現在価額を算出すると次の算式により金48万6832.67フラン(金一二一七万〇八一六円)となる。

1万9025フラン×12×(1−0.4)×0.5×7.1078(ライプニッツ係数)=486832.67フラン

486832.67フラン×25円=1217万0816円

(2) 慰謝料 金三〇〇〇万円

原告は、エドワードの妻として同人の突然の死亡により甚大な精神的苦痛を被った。これを慰謝するための慰謝料としては金三〇〇〇万円を下らない。

(3) 葬儀費用及び交通費等 金一〇〇万円

原告は、エドワードの葬儀費用及びフランスに往復する渡航費等等として金一〇〇万円以上の出捐をした。

(4) 弁護士費用 金五〇〇万円

原告は、本訴を原告代理人に委任し、着手金及び報酬として合計金五〇〇万円を支払う旨約した。

(八) よって、原告は、被告に対し、不法行為に基づく損害賠償として、右損害金合計四八一七万〇八一六円のうち、被告が原告に対して有すると主張する治療費及び立替金返還請求権金一〇〇万〇六七一円を控除した残額である金四七一七万〇一四五円及び内金三五〇〇万円に対する不法行為成立の後である昭和六二年一二月一五日から、内金一二一七万〇一四五円に対する同じく不法行為成立の後である平成二年五月九日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)(当事者)及び(二)(受診に至る経緯)の各事実は認める。

(二) 同(三)(本件事故の発生状況)の(1)及び(2)は認める。同(3)のうち、エドワードが看護婦から勧められて戸外で休養したこと、その際持参の薬を服用したことは認め、その余は否認する。同(4)のうち、エドワードが原告とともに病室に戻ったこと、看護婦が点滴の操作をしたこと、エドワードが四肢硬直を起こして意識を失ったこと、原告からナースコールがあったことは認め、その余は否認する。

エドワードが予備室を退室した後、Y医師及び看護婦らが数回にわたりネブライザー、酸素吸入及びソルコーテフの注射等の措置を申し出たにもかかわらず、エドワード及び原告はこれらの措置をとることを頑に拒絶しつづけた。エドワードは、病室に戻った後、症状がさらに悪化するに至ってようやく看護婦らの説得に応じ、注射を承諾した。そこで、Y医師の指示を受けて看護婦がソルコーテフ及び生理食塩水の点滴を実施したのである。また、エドワードが持参の薬を服用したのも看護婦から注意を受けたためであり、したがって、エドワードが放置された状態であって医師及び看護婦から助言及び注射等の措置の申し出がなかったとの原告の主張は事実に反する。

(三) 同(三)(本件事故の発生状況)(5)のうち、Y医師及び看護婦が酸素吸入、心臓マッサージなどの措置をとったこと、原告の依頼で来診した茂木教授及び織田医師が挿管をやり直し、副腎皮質ホルモン等を静注したことは認め、その余は否認する。Y医師は、気管内挿管するにあたり、挿管確実であることを聴診器で確認した上で酸素と接続しており、誤ってチューブを食道に挿入した事実はない。同(6)のうち、エドワードの死因が気管支喘息による窒息であることは否認し、その余は認める。

なお、原告からナースコールを受けて駆けつけた後の治療経過は次のとおりである。

(1) 一一時四〇分ころ、酸素吸入開始。その後、デポメドロール(副腎皮質ステロイド剤)の筋肉注射、ソルコーテフ及びキシリトール(糖質輸液)を点滴に追加。

(2) 一二時一〇分ころ、エドワードの心臓は動いていたが、心臓マッサージを開始した。

Y医師は、集中治療室のある大分医科大学に転院を依頼したが、大学側の事情で拒否された。

(3) 一二時四二分、心停止、血圧触知せず、チアノーゼ強度脳死状態となった。

一二時五〇分、気管内挿管。その結果、血圧が上昇し、最高血圧一二〇を触診した。

(4) その後、テラプチク(呼吸促進剤)の筋肉注射、キシリトール及びノルアドレナリン(カテコラミン系昇圧剤)を点滴。さらにボスミン(カテコラメン系昇圧剤)を心臓に注射。

(5) 一三時一〇分、再び血圧が低下し、触知できない状態となったため、セジラニド(強心剤)及びソルコーテフを点滴に追加。その後ボスミンを心臓に注射し、ノルアドレナリン、ソルコーテフ及びキシリトールを点滴に追加。その結果、同五〇分には血圧を触知した。

(6) 一三時四五分、茂木教授が来院し、挿管を入れ換え、心臓マッサージの中止を指示した。その後、エホチール(非カテコラミン系昇圧剤)、ノルアドレナリン及びソルコーテフを点滴。

(7) 一四時三〇分、織田教授が来院して、メイロン(炭酸水素ナトリウム、アシドーシス是正剤)を点滴に追加。その後、織田教授が再び挿管をやり直し、塩化カルシウム、メイロン及びイノバン(カテコラミン系昇圧剤)を点滴に追加。

(8) 一六時一五分、血圧触診不能となったため、アルブミン、塩化カルシウム、メイロンを点滴に追加したところ、同三〇分には血圧を触知した。その後、セファメジンテストを実施して、セファメジン(セファロスポリン系抗生物質)、ノルアドレナリン、ラシックス(利尿剤)及びソルコーテフを点滴に追加。

(9) 一七時ころ、被告及び由美子医師帰院。同一五分、茂木教授及び織田教授が帰った後、由美子医師の指示で間欠的心臓マッサージ開始。

(10) その後、メイロン、ノバミン(フェノチアジン系鎮吐剤)の点滴、ボスミン、ソルコーテフ及び生理食塩水の心臓注射、デポメドロール、ラシックスの筋肉注射などの措置をとったが、二二時一〇分に心臓が停止した。

さらに、ソルコーテフ点滴、ボスミン静脈注射、ネオフィリン及びメイロン点滴、アトロピン(鎮痙剤)筋肉注射を行ったが、二三時〇五分、エドワードは死亡した。

(四) 同(四)(被告の責任)(1)のうち、急激な温度変化が喘息発作の原因となる理論上の可能性があることは認め、その余は否認ないし争う。

喘息治療には多種多様な治療方法が行われており、温度差を伴う治療法(水泳、乾布摩擦等)も一般化している。冷凍療法は、もともとはリウマチの治療法として被告により考案されたものであるが、喘息治療にも効果があることが知られるようになり、これまで多くの喘息患者に安全に実施されて治療効果を上げ、今や世界の医学界で喘息の治療法としての有効性を認められている。

理論的には温度変化が喘息発作を誘発する危険性があるとしても、冷凍療法の実施にあたっては、事前に医師が身体状況の診断・検査を行った上で入室を許可するかどうかを判断しており、冷凍治療室内には自動交信装置を備えつけ、また、入室する患者全員に電波発信機であるカルジオを装着させて医師及び看護婦が常に患者の心電図モニターを監視し、さらに、冷凍治療室外には酸素ボンベ、蘇生器具、注射器具等を用意するなど、事故発生の危険に備えて万全の態勢を整えた上で実施しているのであるから、被告には原告主張のような過失はない。

同(2)のうち、エドワードが風邪気味で睡眠不足であり、軽度の呼吸困難・喘鳴があることをY医師が認識していたこと、Y医師がエドワードに対し予備室入室を許可したことは認め、その余は否認ないし争う。

従来の治療例によれば、多少風邪気味のときに冷凍療法を受けても風邪が悪化することはなく、Y医師は、入院以来エドワードが冷凍療法を受けても発作などの悪影響がなかったこと、これまでの治療の経過及びエドワードの健康状態を十分検討した上、これらを総合して冷凍療法を受けることが十分可能であると判断したため、予備室への入室を許可したのであって、注意義務に違反した点はない。

同(3)のうち、予備室退室後エドワードの症状が悪化していたことは認め、その余は否認ないし争う。

そもそも、被告は、エドワードが山内病院に入院する時点では冷凍療法を施す契約を締結したに過ぎず、喘息の治療契約を締結したものではないから、エドワードが注射を承諾する以前の段階では、被告らの注意義務は冷凍療法を落ち度なく実施することにとどまり、喘息を治療する医師としての注意義務を負うことはない。また、エドワードが喘息発作の治療を承諾した後のY医師らの行為については、前述のとおり、可能な限りの救命措置を適切に講じており、何ら過失はない。

(五) 同(五)(因果関係)(1)は否認する。

エドワードは、当日は予備室に入ったのみで冷凍療法は受けていないのであるから、冷凍療法と喘息発作ないし死亡との間には因果関係がない。また、エドワードの発作は予備室に入ったことが原因でもない。エドワードは、フランスの主治医から指示されて常用していたコーチゾンの服用を自己の判断で秘かに中止しており(このことは発作後初めて判明した。)、このことが原因となって喘息発作を起こしたものと考えられる。

同(2)のうち、喘息発作後でも適切な措置を講ずれば発作を収めることが十分可能であることは認め、その余は否認ないし争う。エドワードの喘息発作が死につながったのは、エドワード自身がソルコーテフ注射等の措置を拒絶しつづけた結果、発作に対する有効適切な措置を施すのが遅れたことによるものである。

(六) 同(六)(被用関係)のうち、Y医師及び看護婦らが被告に雇用されて山内病院に勤務している者であることは認め、その余は争う。

(七) 同(七)(損害)のうち、エドワードがレストラン「サントリーフランス」の経営にあたっていたことは認め、その余は不知。損害の額は争う。

二  乙事件

1  請求原因

(一) 被告は、昭和五九年一二月一五日ころ、原告及びその夫であるエドワードとの間で、エドワードの喘息並びに原告の生理不順、不眠症及び自律神経失調症についての入院治療契約を締結、その治療費等は原告が支払うことを約した。

(二) 同日ころから同月一九日までの間、原告及びエドワードは山内病院に入院し、右契約に従って治療を受けたが、エドワードは同月一九日死亡したため、原告自身の治療も打ち切った。

(三) 被告は、エドワードの葬儀費用を、喪主である原告に立て替えて支払った。

(四) 治療費の額は、エドワード分金二三万五四二〇円、原告本人分金六万七一四〇円、合計金三〇万二五六〇円である。

葬儀費用として被告が立替払した額は、金六九万八一一一円である。

(五) よって、被告は、原告に対し、入院治療契約に基づき金三〇万二五六〇円、立替払金として金六九万八一一一円、合計金一〇〇万〇六七一円及びこれに対する乙事件訴状送達の翌日である昭和六二年九月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

2  請求原因に対する認否

(一) 請求原因(一)のうち、原告の夫であるエドワードが被告との間で喘息の治療契約を締結したことは認め、その余は否認する。

(二) 同(二)のうち、エドワードが山内病院に入院して喘息の治療を受けたこと、同月一九日にエドワードが死亡したことは認め、その余は否認する。

(三) 同(三)の事実のうち、被告がエドワードの葬儀費用を支出したことは認め、その余は否認する。エドワードは被告の医療過誤により死亡したのであり、被告は原告に対し謝罪の意を示すため自ら葬儀費用を負担したのである。

(四) 同(四)の事実は不知。

(五) 同(五)は争う。

3  抗弁(相殺)

(一) 甲事件請求原因(一)ないし(八)記載のとおり。

(二) 原告は、被告に対し、昭和六二年一二月一五日送達の甲事件訴状によって、甲事件の不法行為に基づく損害賠償請求債権をもって、被告の乙事件反訴請求債権とその対当額において相殺する旨の意思表示をした。

4  抗弁に対する認否

抗弁(一)に対する認否は、甲事件請求原因に対する認否に同じ。

第三  証拠〈略〉

理由

一甲事件

1  請求原因(一)(当事者)及び(二)(受診に至る経緯)の事実は当事者間に争いがない。

2  本件事故の発生状況その一――エドワードの容態急変に至った状況

当事者間に争いのない事実に、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨により認められる事実を総合すれば、エドワードの容態急変に至った状況は次のとおりである。

(一)  エドワードは、昭和五九年一二月一九日午前九時ころ、冷凍療法を受けるため、原告とともに、病室を出て冷凍治療室へ向い、待機室において、事前に問診表の記入を済ませ、看護婦から血圧・脈拍の測定を受けた。問診表は、筋肉痛・倦怠感・頭痛等の数項目にプラスマイナスの記号を付けて自己申告する形のものであり、当日、エドワードは特にいずれの項目にもプラスの記入はしていなかった。しかしながら、この時点で既にエドワードには軽度の呼吸苦及び喘鳴がみられ、また、エドワードは看護婦に対し、睡眠不足であること及び風邪気味であることを伝えていた。

当日冷凍治療を担当していたY医師は、エドワードが気管支喘息の治療のために入院している者であることを認識した上、診療を開始していた。そして、このY医師は、原告又は看護婦からエドワードが当日の朝から睡眠不足であり風邪気味であるとの報告を受けたが、前記のように格別の記載のない問診表を受け取りこれに目を通したのみで、それ以上にエドワードに聴診器をあてるなどの検査をしなかったのみならず、エドワード又はこれに付き添う原告にエドワードの身体状況についてさらに尋ねることもしないで、エドワードに異常がないものと速断して冷凍治療を受けることを許可した。

(二)  エドワードは、午前九時半すぎころ、脱衣室で衣服を脱ぎ通常冷凍療法を受けるのに着用することとされている水着(海水パンツ)のみを着用した上、原告に付き添われて冷凍治療室(室温摂氏約零下一〇〇度)に隣接する予備室(室温摂氏約零度)に入ったが、二〇秒程で息苦しさを訴え、原告とともに予備室を退出した。

(三)  エドワードは、退出して脱衣室で着衣後もなお息苦しさが収まらず、脱衣室で喘息発作をこらえる姿勢である前屈の姿勢を取り長椅子に座っていたところ、その場にいた看護婦から、他の患者らの混雑がなく空気のきれいな戸外に出るよう勧められ、原告に伴われて戸外のベンチで休養した。しかし、エドワードの発作は激しくなる一方であったため、原告は、フランスの主治医に発作時に備えて携帯するよう言われていたコーチゾン及び気管支拡張剤(アロテック)のスプレーを取りに病室へ戻った。エドワードは、スプレーを口に吹き込むとともに、コップの水にコーチゾンを数滴垂らしてこれを服用する等して発作が収まるのを待った。

ベンチは日当りがあったが、一二月下旬のことでもあり、しかも、その後、気温が低くなってきたため、原告は病室に戻ったほうがよいと判断し、エドワードを介助しながら歩いてリハビリ室の前まで来たが、エドワードが「もう歩きたくない」旨歩くのをいとったため、午前一一時ころ、途中で車椅子を借用してエドワードをこれに乗せ、病室に連れ戻ろうとした。病室に戻る途中、ナース室の前まで来たとき、看護婦が出てきて原告に様子を聞き「酸素をかけましょうか。」と言ったが、エドワードが単なる酸素吸入がそれをはずした際に心臓に負担をもたらすことをおそれてその申出を断ったため、看護婦は「それでは注射をしましょう。」と言って付き添って病室に戻り、エドワードを車椅子に座らせたまま腕にソルコーテフの静脈注射(点滴)をした。その後午前一一時半ころ、原告が医者を呼んでくれるよう頼んだため、看護婦はY医師を呼ぶために病室を出ていったが、その後間もなくしてエドワードは四肢硬直を起こし、立ち上がったようになり、それからバタッと落ちるように椅子上に坐り、意識を失った。

右(一)から(四)までに認定した状況に関し、被告は、エドワードが予備室を退出した直後から数回にわたって佐藤ナースら看護婦が声を掛け、酸素吸入措置及びソルコーテフの注射の申出をした旨主張しており、江藤証言中にもこれに沿う趣旨の供述が存在するが、右証言は以下の諸点からこれを信用することができない。

すなわち、江藤証人は、「エドワードが予備室を退出した後、江藤ナース及び佐藤ナースが再三にわたって注射等の措置を申し出たがエドワード及び原告に拒否され、病室に戻った後ようやく説得に応じて静脈注射を承諾したため、Y医師に連絡して病室に来てもらい、その指示でソルコーテフ及び生理食塩水の点滴をした」旨供述しているところ、右供述は、原告の陳述書である前掲甲第八号証中の供述に反するばかりか、原告からナースコールがあった一一時四〇分以前に病室を訪れたことはない旨のY証言とも矛盾する。その上、江藤証人は、「投薬その他の措置をする際にはその都度看護婦又は医師がメモを採るなどした上でカルテの看護記録又は診療録に記載している」旨供述しているところ、山内病院のカルテである乙第一号証中にはどこにも、一一時四〇分以前にY医師が病室を訪れて点滴を指示したとの治療行為についての記載がない。また、江藤証人は、「エドワードは当初一人で予備室から退出し、予備室から本室へ入った原告が数分後に出てくるまでの間、江藤ナースがエドワードに注射等の申出をした」とも供述しているが、前掲甲第八号証及び弁論の全趣旨によれば、冷凍療法がエドワードの喘息治療を目的とするものであって原告はエドワードの付添いとして治療室に一緒に入ろうとしたものであることが認められるのであり、このことからすれば、予備室で息苦しさを訴えて退出したエドワードを放置して原告が一人で予備室から本室に入るということは考え難い。

なお、看護婦らの措置に関して江藤証人が供述するところは、エドワードの死亡後に看護婦らが集まって作成したと江藤証人が述べている乙第二号証の記載内容とほぼ同一であるが、この乙第二号の記載は、エドワードについてのカルテである乙第一号証にほとんど記載されておらず、また、前掲第八号証の供述にも反するものであって、信用することができない。

したがって、予備室退出後の看護婦らの措置に関する江藤証言及び乙第二号証は信用することができず、他に前掲被告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

3  本件事故の発生状況その二――エドワードの容態急変後の治療経過とエドワードの死亡

当事者間に争いのない事実に〈証拠略〉により認められる事実を総合すれば、エドワードの容態急変後エドワードが死亡するまでの経緯は次のとおりである。

(一)  午前一一時四〇ころ、エドワードが意識を失い、原告からのナースコールでY医師及び看護婦らが病室に駆けつけた。その際のエドワードの状態は、全身硬直し、椅子上にのけぞるような姿勢であり、四肢冷感及び口唇チアノーゼがあり、呼吸反応及び睫毛反射がいずれもみられず、自発呼吸はみられなかった。

その後酸素吸入を開始するとともにデポメドロール二アンプルを注射した。さらに一一時五〇分までの間に、デポメドロール二アンプルを注射し、ソルコーテフ四アンプル及びキシリトール五〇〇ミリグラムを点滴中に追加した。

それとともに、心臓マッサージを続ける一方でY医師は大分医科大学に転院を依頼したが、受け入れ態勢が整っていないとの理由で拒否された。

エドワードの四肢冷感、口唇チアノーゼ、呼吸反応なし等の状態は、ほとんど変わらないで一時間以上推移した。

そして、一二時四二分に至って血圧が触知されない状態となったため、気管内挿管の措置が採られたが、エドワードをみる唯一の医師であったY医師自身は挿管技術を有しておらず、自らこれを行うことができなかったため、現実には看護婦が医師の指示もないままに挿入した。その直後からエドワードの顔、腹、四肢が膨満した状態になり、一二時五五分には一時血圧一二〇を触診した。

一三時ころ、呼吸促進剤であるテラプチク一アンプルの筋肉注射を行うとともに、血圧を上げるためノルアドレナリン四アンプルを点滴中に追加した。

一三時一〇分、再び、血圧が触知できない状態となったため、ボスミン一アンプルの心臓注射を行うとともに、強心剤であるセジラニド二アンプルを点滴に追加した。その後、ソルコーテフ、ノルアドレナリン、キシリトールを点滴中に追加し、さらにボスミン二アンプルの心臓注射を行うなどしたが、以前血圧は触知しないままであった。

(二)  一三時四五分ころ、原告からの依頼を受けて大分医科大学の茂木教授が来院し、前記のように挿入されたチューブが誤って食道に挿入されているのを発見し、そのチューブを気道に挿入し直したところ、一三時五〇分には血圧七〇を触診した。

(三)  一四時二四分ころ、茂木教授の依頼により、同大学麻酔科の織田医師が来院し、再度挿管をやり直した上、メイロン、イノバンの点滴、ソルコーテフの追加等の措置を採った。

(四)  一七時ころ、当日朝から出張中であった被告及び由美子医師が帰院し、以後、由美子医師の指示により、心臓マッサージとともに、メイロン、ソルコーテフの点滴注射、ボスミンの心臓注射及びラシックスの筋肉注射等の措置が採られたが、二一時五〇分過ぎに血圧測定不能となり、二三時〇五分ころ、エドワードは死亡した。

4  エドワードの死因

証人森田寛の証言によれば、喘息発作による死亡の八割程度は窒息死であること、エドワードが意識を喪失する直前に四肢硬直等を起こしているが、このこともエドワードが喘息発作による窒息状態にあったと考えて医学上問題がないことが認められ、加えて、右証言において、気管支喘息を含むアレルギー性疾患の研究者であると同時に医師である森田証人が、エドワードのカルテである乙第一号証(添付の心電図等の検査結果を含む。)、死亡診断書である甲第二号証、前掲甲第八号証等を読んだ上で、「本件においては、エドワードに急性の喘息発作が起き、それが次第に悪化し、呼吸困難の程度が増強して最後は窒息症状で喘息死したとみられる」旨証言しており、この証言は、同証人の高度の専門性に鑑み、信頼すべきものと考えられる。これらによれば、エドワードの死因は喘息による窒息死と認めるのが相当である。なお、前記甲第二号証には直接死因として急性肺水腫と記載され、その原因として「気管支喘息心筋梗塞疑」と記載されているが、右の記載をしたY医師が右のように判断したのは、前掲Y証言によれば、気管支喘息によって気道等に分泌物がたまりそれが肺実質まで及んで浮腫をきたしたと診断したことが根拠となっていると認められる上、前掲森田証言によれば、心筋梗塞等の合併症を有する(エドワードが由美子医師の診察を受けた一二月一五日の心電図には「マイナーチェンジ」の評定がされていることが前掲乙第一号証上明らかである。)とすれば、喘息による窒息死と肺水腫が共に生じたとしても矛盾はないことが認められるから、右の甲第二号証の記載がエドワードの死因を喘息による窒息死と認定することの妨げとはならないものというべきである。

5  被告の責任

(一)  1から4までの認定事実に基づいて被告の帰責事由の有無について以下検討する。

(二)  〈証拠略〉によれば、気温の急激な変化は一般に喘息発作の誘因となりうること、喘息発作の持病を有するものが風邪気味であるなどの健康の一般的状態がすぐれない場合には気温の急激な変化を伴う処遇をその者に施すには特に慎重に行う必要があることが認められる。

そうすると、冷凍療法を担当する医師には、冷凍療法を開始するにあたり、事前に、被治療者の健康状態を十分に検査して、被治療者が喘息発作の持病を有するものの場合には、健康状態のすぐれないときには、当日は、その者に対しては冷凍療法を実施せず、又は、冷凍療法を契機として喘息発作が起きても速やかにこれに対処し得るような態勢を整えてこれを実施するべき注意義務があるといわなければならない。

本件当日エドワードに対する冷凍療法を担当したY医師は、前記2(一)認定のとおり、エドワードが気管支喘息の持病を有する者であることを認識しており、かつ、エドワードに予備室に入室を許可するかどうかを判断するに際しエドワードが風邪気味で睡眠不足であることを知らされていたのであるから、Y医師としては、問診表のチェックにとどまらずさらに詳細にエドワードの健康状態を精査した上で、当日は予備室入室をも含めて冷凍治療の実施を避止するか、発作が起きた場合にも速やかに対処しうるように特に注意を払って監視しつつ右療法を実施すべき注意義務があったものというべきである。しかるに、Y医師は、前示のとおり、エドワードの問診表に一通り目を通したのみでそれ以上の検査を行うこともせず、また、特にエドワードの状態につき監視を強化するなどの措置も採ることなく、漫然とエドワードの予備室入室を許可しており、右注意義務を怠った過失があるといわざるを得ない。

被告は、Y医師はエドワードのそれまでの治療経過・健康状態等を十分考慮した上で予備室入室を許可しており、注意義務を尽くしている旨主張し、前掲Y証言中には予診にあたりエドワードのカルテに目を通したとの趣旨の供述があるが、他方、右Y医師は、その証人尋問で、右カルテの記載内容を尋ねられてもその内容につきはっきりした記憶がなく、また、カルテに添付された心電図についてもその判読のための知識をほとんど有していなかった旨を自ら認める旨の供述をしたのみならず、同医師は産婦人科を主な専門分野とする医師であり、本件当時山内病院に勤務するようになって一か月程度に過ぎず、冷凍療法についても経験もなく勉強もしておらず、その危険性等についても何ら認識していない旨の驚くべき供述をし、さらに、具体的な勤務ぶりに関しても、本件当日エドワードに呼吸苦・喘鳴がみられたことについて記憶がない旨を供述しており、これらの供述内容及びY医師の記憶状況に鑑みると、Y医師によるエドワードの予備室入室許可が必要な検討・考慮を経てなされたものとは到底解することはできず、したがって、Y医師が右許可にあたって注意義務を尽くした旨の被告の主張は採用することができない。

(三)  山内病院にはエドワードのように冷凍療法が喘息治療に効果があると聞いて喘息の持病を有する者がその治療を目的として冷凍療法を受けることが少なくなく、かつ、冷凍療法の過程で喘息の持病を有する者に喘息の発作が生ずる可能性も〈証拠略〉に鑑みると否定できないのみらなず、〈証拠略〉によれば、気管支喘息の急性発作が生じ、これが悪化するときはその気管支喘息の患者が呼吸ができなくなり窒息死するおそれがあることが認められる。

これらによれば、冷凍治療の過程で喘息発作を起こしたものがでた場合、山内病院に勤務する医師及び看護婦らは、その発作を起こした者に対しては、その症状が悪化しないようにするための適切な措置をとるべき義務があるというべきである。

前記2(二)ないし(四)認定のとおり、エドワードは予備室の冷気にあたって息苦しさを覚え、その直後に前屈の姿勢でこらえていたのであり、要するに喘息発作を起こして予備室を退出していたと認められ、かつ、その後もその発作は軽快することなく悪化しつつあったのであるから、これらの容態を知った山内病院に勤務する医師及び看護婦としては、エドワードの状態を注視し、その症状に応じて適切な助言を与え、また、必要に応じてまずは気管支拡張剤次いでこれとともに副腎皮質ホルモンの注射をする等の喘息発作の悪化を止めるために必要な措置を採るべき注意義務がある。しかるに、前述のとおり、看護婦の一人がエドワードに対して戸外に出るよう勧めたにすぎず、それ以後原告の判断で病室に引き返すまでの間においては、医師及び看護婦らはエドワード及び原告に対しほとんど助言及び措置の申出をすることなくこれを放置したもので、右は喘息発作を起こしている気管支喘息患者に対する前述のような注意義務に違反したものといわざるを得ない。

この点に関し、被告は、エドワードとの間で冷凍治療契約を締結したにすぎず喘息の治療契約を締結したものではないから、被告の注意義務は冷凍治療を落ち度なく実施することにとどまる旨主張する。しかしながら、エドワードが気管支喘息の治療のために冷凍療法を受けるため入院していたこと、それを被告も認識してその入院に応じたことはいずれも当事者間に争いがなく、これらの事実によれば、エドワードが山内病院に入院して冷凍療法を受ける過程において喘息発作を起こした場合には、それが冷凍治療室に入っている際における発作の場合はもちろんのこと、冷凍治療の準備段階として予備室に入室した際に起きた発作であっても、被告は、右発作に対し、その症状に応じてその悪化に至らぬように適切な治療措置を講ずるべき注意義務を負ったものというべきである。したがって、被告の右主張は理由がない。

(四) 急性喘息発作が悪化するときは前述のように窒息死のおそれが生じるのであるから、入院している気管支喘息の患者の喘息発作が悪化してしまった場合には、山内病院に勤める医師としては、その者に対して、速やかに最適な救命措置を講ずる義務があるといわなければならない。

また、〈証拠略〉よれば、喘息発作の場合には、気管支の平滑筋自体が収縮することに加えて、気管支の粘膜が水分を含んでむくみ、粘膜からの分泌作用が高まって分泌物が気道に溜まることなどにより気道が細くなっている状態であること、副腎皮質ホルモン剤は気道のむくみや分泌物を除去する作用を有しているものの即効性がなく、効果が現れるまでに数時間を要すること、したがって、喘息発作の治療としては第一に気管支拡張剤の投与により気道を拡げることが必要であり、基本的にはエピネフィリン(アドレナリンともいう。一般的な商品名としてはボスミンなど。)、アミノフィリン(テオフィリン系)の静脈注射が必要とされること、さらにそれと併用して酸素吸入措置を採るほか、重篤な発作の場合には副腎皮質ホルモン剤を投与して粘膜の浮腫を取るなどの治療が必要となることが認められる。

エドワードの場合には、前記3(一)の認定事実によれば、エドワードが意識を失った直後にY医師が採った措置は、酸素吸入措置のほか、ソルコーテフ及びデポメドロール等の副腎皮質ホルモン剤の注射、呼吸促進剤であるテラプチクの投与、昇圧剤であるノルアドレナリンの投与、輸液剤であるキシリトールの点滴などにすぎないのであり、一三時すぎになってボスミンの心臓注射も行われているが、前掲森田証言によれば、右ボスミンの心臓注射は直接心臓への働きかけを意図したもので、皮下注射などと異なり気管支拡張作用を期待して採られた措置ではないこと、他に投与された薬剤中に気管支拡張作用を有するものは見当らないこと、また、酸素吸入措置が採られても、気道の閉塞が強度な場合には気管支を拡張した上でなければ効果が期待できない場合もあることが認められる。

以下認定事実によれば、Y医師がエドワードに対して採った副腎皮質ホルモン剤投与等の措置はそれだけでは十分なものとはいえず、即座にボスミンの皮下注射又はアミノフィリンの点滴静脈注射等の措置を講じなかった点で、適切さを欠き、エドワードの喘息発作に対する迅速適正な救命措置を採ることを怠った過失があるというべきである。

(2)  加えて、前記3(二)の認定事実によれば、大分医科大学の茂木教授が来院した際には挿管チューブは食道内に挿入されており、これによれば、Y医師がその挿管技術を有しないため看護婦が医師の指示もないまま気管内へとの見込みで挿管したものが誤って食道に挿入されたものと推認することができ、この点でもY医師及び看護婦らには適切な救命措置を怠った過失があるといわなければならない。

なお、前記認定のとおり、挿管の後に一時的にであるが血圧が上昇している事実が存在するが、同じく前記認定のとおり、この挿入の後にエドワードの腹等の膨満が生じており、多少の酸素が肺に吸入されたことが推認されるから、右事実の存在は前記過失の認定の妨げとなるものではない。

6  因果関係

前記2から4までの認定事実を総合すれば、エドワードは、本件当日特に注意を要する健康状態にあったにもかかわらず、Y医師がそれを看過して漫然と摂氏約零度の予備室へ入室させた結果、急激な温度変化が誘因となってエドワードの喘息発作を惹き起こし、その後医師及び看護婦らによる迅速適切な治療措置を受けることができないままその発作が急速に悪化し、これによる呼吸困難を起こしてエドワードが窒息死するに至ったのであるから、Y医師及び看護婦らの前記5に認定した過失とエドワードの死亡との間には因果関係がある。

被告は、エドワードは当日フランスの主治医から指示された薬を飲んでおらず、そのために喘息発作を起こしたものである旨主張し、前掲江藤証言中にもそれに沿う趣旨の供述が存在するが、右供述は他の看護婦からの伝聞であってその内容は必ずしも具体的でなく、反対の趣旨の原告陳述書である前掲甲第八号証に照らし採用することができない。

また、被告は、エドワードの発作に対して迅速な措置が採れなかったのはエドワード及び原告が注射等の措置の申出を拒否したためである旨主張するが、前記2(四)に判示したとおり、右の被告主張に沿う内容の〈証拠略〉は採用することができず、他に被告主張の事実を認めるに足りる証拠はない。

7  被用関係

請求原因(七)(被用関係)のうち、Y医師及び看護婦らが被告に雇用されて山内病院に勤務している者である事実は当事者間に争いがなく、Y医師及び看護婦らの前記5認定の過失が同病院の業務の執行について生じたものであることは前記2及び3の認定事実により明らかである。

8  損害

(一)  扶養請求権侵害による損害

当事者間に争いのない事実に、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨によれば、本件事故当時エドワードはレストラン「ジュン」の経営者として月額金一万五〇〇〇フラン、同「サントリーフランス」の経営者として月額金4025.76フラン、合計月額金1万9025.76フランの収入を得ていたこと、エドワードは西暦一九二四年一月一四日生まれであって死亡当時六〇歳であったこと、事故当時エドワードの扶養家族は原告のみであったことが認められる。そして、エドワードの年齢及び職業・地位を考慮すれば就労可能年数は平均余命の二分の一として計算するのが妥当であり、昭和五九年簡易生命表によれば六〇歳男子の平均余命は19.24年であって、エドワードについてこの平均余命年数を参考とするのを控えるべき特別の事情は見当たらないから、エドワードの就労可能年数は9.62年と見込むべきである。また、エドワードの生活費は、家族構成及び収入額から考えて収入額の四〇パーセントを超えないものと認められる。右収入額から生活費四〇パーセントを控除した残額の二分の一の金額からライプニッツ方式により中間利息を控除して現在価額を算出すると、次の数式により、金48万6832.67フランとなる。

1万9025.76フラン×12×(1−0.4)×0.5×7.1078=486832.67フラン

エドワード死亡当時の為替レートによれば一フラン=二六円であるから、486832.67フラン×26=1265万7648円となる。

(二)  慰謝料

原告とエドワードとの身分関係は冒頭判示のとおりであり、〈証拠略〉並びに弁論の全趣旨を総合すれば、エドワードは気管支喘息を患ってはいたが日常生活に特に支障が出る程ではなく、生命の危険をうかがわせるような状態ではなかったこと、原告はエドワードに生計を依存してフランスで家庭生活を営んでいたが、同国にはエドワード以外に身寄りはなく、エドワードの死亡後身辺を整理して日本に帰国したことが認められ、以上の事実からすれば、エドワードの突然の死亡により原告の被った精神的苦痛が甚大なものであったことは想像に難くなく、これに加えて、本件事故後の被告の対応など本件における諸般の事情を考慮すれば、エドワードの死亡により原告が被った精神的苦痛に対する慰謝料は金二〇〇〇万円をもって相当と認める。

(三)  葬儀費用及び交通費等

原告本人尋問の結果によれば、エドワードの葬儀費用及びフランスへの往復渡航費として合計金一〇〇万円以上の支出をしたことが認められる。そして、弁論の全趣旨によれば、原告らの生活の本拠地がフランスにあることを被告自身も認識していたと認められ、このことも合わせ考慮すれば、右葬儀費用及び渡航費もまた本件事故と相当因果関係のある損害と解される。

(四)  弁護士費用

本件と相当因果関係のある弁護士費用の額としては金三〇〇万円が相当である。

(五)  右認定金額を原告請求の範囲内で合計すれば、賠償されるべき損害額は合計金三六六五万七六四八円となる。

9  結論

以上の次第で、甲事件請求は、前記認定の不法行為に基づく損害賠償金合計三六六五万七六四八円のうち、被告が原告に対して有すると主張する治療費及び立替金合計金一〇〇万〇六七一円を控除した残額である金三五六五万六九七七円及びその内金三五〇〇万円に対する不法行為成立の後である昭和六二年一二月一五日から、同じくその内金六五万六九七七円に対する同じく不法行為成立の後である平成二年五月九日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言につき同法一九六条一項をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

二乙事件

1  請求原因について

(一)  反訴請求原因(一)の事実のうち、エドワードが原告の夫であること、エドワードが被告との間で冷凍治療契約を締結したことは当事者間に争いがなく、〈証拠略〉によれば、原告自身も不眠解消のため、エドワードに付き添って冷凍療法を受ける旨の契約を被告との間で締結した事実が認められる。その際、右各治療費は原告自身が支払う旨約したとの事実はこれを認めるに足りる証拠がない。

(二)  同(二)の事実のうち、エドワードが昭和五九年一二月一五日ころから同月一九日まで山内病院に入院して冷凍治療を受けたこと、一九日にエドワードが死亡したことは当事者間に争いがなく、〈証拠略〉及び弁論の全趣旨によれば、エドワードの死亡により原告自身に対する冷凍療法も打ち切られたことが認められる。

(三)  同(三)の事実のうち、被告がエドワードの葬儀費用を支出したことは当事者間に争いがなく、右事実に原告がエドワードの妻であることを合わせると、被告は原告に代わって葬儀費用を立替払いしたものと推認することができる。被告が謝罪の意思で自らエドワードの葬儀費用を負担したとする原告の主張は、これを認めるに足りる証拠がない。

(四)  同(四)の事実は、〈証拠略〉及び弁論の全趣旨によりこれを認めることができる。

2  抗弁について

(一)  抗弁(一)の事実は、甲事件請求原因に対する前記判断のとおりこれを認めることができる。

(二)  同(二)の事実は当裁判所に顕著である。

3  結論

以上によれば、乙事件請求は理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九〇条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官雛形要松 裁判官北村史雄 裁判官増森珠美)

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